やっててだまされてる気がしてきたけど、とりあえずやります。
【第3回】共感ってほんとに医者からもらうもん?──それ、友達でええやん
前回、医療の時代が終わりつつあるよって話をしました。
「ポスト医療」っていう考え方ね。
今回は、ちょっと角度を変えて「共感」について考えてみます。
医者に“共感”を求める人、多くない?
体調悪くて病院行って、先生に「大丈夫ですよ」って言われると、
それだけでなんかちょっと安心する。
……まぁ、気持ちはわかる。
でもさ、それってほんとに“安心”してるんじゃなくて、
「誰かに認めてほしかった」だけだったりしませんか?
共感って、言葉より“感じるもん”でしょ?
医者が「うんうん、大変ですね」と言ってくれても、
それが心からなのか、マニュアル対応なのか、わかるじゃないですか。
たぶん本人も忙しいし、こっちの話ちゃんと聞けてない。
一方で、家族とか、信頼してる友達と話すときは違う。
言葉少なでも、「わかってくれてる感」ってちゃんと伝わる。
つまり、共感って“関係性の中で生まれるもの”なんですよね。
それを、病院の5分診療に期待するのは、ちょっと無茶なんです。
AIにも「共感されてる感」はある
これ、びっくりするかもですが、
最近の生成AIってけっこう共感してくれるんですよ。
- 「つらかったですね」とか言うだけじゃなくて、
- ちゃんとこっちの言葉の背景まで拾ってくれる。
何がしんどかったのか、なぜ悩んでるのか、
言葉のニュアンスから文脈を汲んで整理してくれる。
で、それを乱暴に切らずに、静かに一緒に考えてくれる。
これ、下手な医者よりよっぽど共感してくれるんですよ。
医療って「治す」より「寄り添う」にすり替わってない?
これ、今の医療が持ってる**“変なズレ”**でもあるんですけど、
いつの間にか「病気を治す場所」から、
「つらい気持ちを受け止めてもらう場所」になってませんか?
もちろん、それ自体は悪くない。
でも、“それだけ”を求めて病院行っても、
医者は共感ロボットじゃないから、満たされるはずがない。
だったらもう最初から、「共感は人間関係で得るもの」って割り切って、
医療には“必要なときだけ”アクセスすればいいと思うんですよ。
終わりに:人間は人間に癒される
共感って、知識でも肩書でも生まれない。
生きてる人間同士が、信頼を持って向き合ったときにだけ生まれる。
それは、病院より、自分の身の回りにいる人たちとの間にある。
・いつでも相談できる友達
・ちゃんと聞いてくれる家族
・少しだけ言葉を添えてくれるAI
この3つがあれば、
たいていの不安は、病院より先に消化できる。
最後は、「がん治療は本当に必要なのか?」って話をします。
命がけの治療をする前に、立ち止まって考えてみてもいいんじゃない?という話です。